20、精神分析

治療

精神分析と言えばフロイトになりますが、無意識の発見は画期的なものと言えます。どうしていいか分からず途方に暮れていた頃、精神分析入門は、私に精神の見方を教えてくれた福音の書でもあります。フロイトの対象疾患は神経症となっていますが、精神分析は認知行動療法の基礎ともなっており、統合失調症、躁うつ病にも必要なアプローチです。 (神経症と統合失調症、(躁)うつ病は本質的には区別できません)

フロイトはしくじり行為の説明から始まり、人の精神には意識と無意識があると述べています。
ある司会者が開会のあいさつで間違って閉会の辞を述べてしまった。これは司会者は意識はしてなかったけれど、本当はその会合をやりたくなかったのだと、つまり無意識の力は強く、本人(意識)が集会の開催を何の疑いもなく当然のものと考えていたとしても、勝手に本音が出てくると説明していました。神経症も同じ構造で、無意識にあるものを意識が抑圧しても、無意識は神経症という症状で訴えるのだと言っています。そして無意識への抑圧を解いてやれば、神経症は治るとフロイトは説明していました。画期的だと思いませんか? しかし、残念ながら、フロイトの精神分析も完全ではありません。

以下、S君が感じたフロイト精神分析の疑問点を挙げてみます。

S君談
フロイト以外にも、河合隼雄や加藤諦三の本も読ませていただきました。
それらを読んで、僕は親に成績至上主義で育てられ、勉強できないと怒られると思いながら、いつも親の顔色をうかがって生きてきたことに気が付きました。それまでは真面目に勉強し、いい点を取るのが正しいと信じて生きてきてました。

成績至上主義に洗脳され、ガリ勉と化し、強迫症まで負ってしまった。すべては親のせいだと。それに気付いてから、親に電話をかけ手紙を書き、おまえのせいだと罵りました。

散々悪態をついて2、3カ月程したところで、ふと気が付きました。フロイトは無意識にあるものを意識化すれば、神経症は治るって言ってたけど、全然治ってないことに。
「なぜ治らないのか?」
「俺は神経症じゃなくて統合失調症なのか?」
「精神分析では軽いものだけで重いものは治らないのか?」
「まだ無意識から取り出せてないものがあるのか?」
いろんな疑問点がありました。

無意識から取り出せてないもの

たとえば、犬の鳴き声を聞いて不安が出るのは、実は子供の頃、犬に吠えられて怖い思いをした経験が原因であった。忘れていたが、精神分析でそれを思い出して、「なんだ、それが原因だったのか」と気付き、不安神経症が解消する。

これと、症例S君のように親に洗脳されていたことに気付いたのに治らないのと、どこが違うのだろうか? やっぱり軽いと重いの違いだろうか?

無意識から取り出せてないものは何か?

ユングは著書、夢分析の中で、無意識には時間の概念がないと言っています。そうなんです、取り出せていないのは時間なのです。「完全に過去のもんなんだ」ということを、取り出せていないのです。

「なーんだ、子供の頃、犬に吠えられたのが不安神経症の原因だったのか」と、「ちくしょー、精神病になったのは親のせいだ!」との違いは完全に過去のものになっているか、いないかの違いなのです。

「完全に過去のものとして水に流した」というのを、時間概念のない無意識に分かる言葉で言い換えると、”許した”になると思います。軽い、重いの違いではなく、許した、許してないの違いなのです。

余談になりますが、外来診療でたまに「許す」という言葉を使うことがありますが、患者さんから「許せません」と言われた方が、意味が通じていると感じます。無理して許すのは、逆に無意識への抑圧になってしまいます。ここで私が伝えたいのは、恨みを募らせるのは、治るのとは逆方向ということだけです。許すという言葉は人によって違う捉え方をするので、安易に使わない方がいいとも思っています。

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