精神分析において、いくつか補足したいと思います。
精神分析の注意点
精神分析は内省することでもあり、自分の問題点を掘り出す行為でもあります。よくあるのですが、自分の問題点に気が付いた時、「やっぱり自分はダメなんだ」と自己非難・自己卑下的な思考をしてしまうことがあります。この思考は私の定義では妄想であり、精神病が改善しないどころか、逆に悪化させることもあります。重要なのは自己の問題点を踏まえて、次にどうするかという視点で精神分析をすることです。そしてこれが認知行動療法ということにもなります。
妄想について
妄想の陥り方
もし精神分析で自己非難するなど思考が堂々巡りする時は、一旦精神分析を休みましょう。かなり時間が経過してから、答えが出ることはよくあります。また精神分析する時は、信頼できる人に、聞きながらやるのもいいかもしれません。自分はこう思ってるけど、どう思う?みたいに、普通の会話の形で聞くといいと思います。
フロイトの言うリビドー理論について
フロイトは無意識の根源的欲求をリビドー(性欲)としました。ユングはこの考え方に反対しており、私も違うと思っています。
もしリビドー(性欲)が無意識の根源的欲求だとしたら、性的パートナーがいれば、精神病(神経症)は起きないことになります。しかし実際は性的パートナーがいても精神病を発症している方は大勢います。
エネルギー論的な意味で使われているにしても、性欲が根源的かはよく分かりません。
エデイプス コンプレックスは論外です。
男性から見た女性性
ユングは男性の無意識の中に女性性(アニマ)がいるとしています。男性性の特徴は論理(思考)で、女性性(アニマ)の特徴は感情です。男性は感情(アニマ)を自分自身に統合し共存するのが苦手て、しばしば感情に振り回されたり、感情を抑圧したりします。そして、それらが自分自身の問題としてとらえられない場合は、外部に自分のアニマに似たトラブル女性が現れ、振り回されることになります。自分のアニマと調和がとれ、感情に振り回されることがなくなれば、トラブル女性がいなくなる、もしくはトラブル女性とも調和がとれる、というふうに私は解釈しています。トラブルのイメージの1つとしては、いけない、いけないと必死に理性で抵抗しようとしているけど、不倫に流されてしまう感じです。これは単なる私の下衆な想像です。
このアニマに関しては、私は確信が持てませんが、男性から見ると女性性は魅力的であり、それにより人間関係を求める動機にもなります。そこで女性に対しどういう人間関係性で接するのか、暴力的な人間関係性なのか、それとも調和的な人間関係性なのか、精神科医としては、そこが重要だと思っています。
人間関係性については以下を参照ください。
妄想について
妄想の陥り方
それから、ポルノというと、誇大妄想の道具、依存の対象という見方になります。性欲というと、いろんな切り口があると思います。
無意識と”うつ”との関係
以前”うつ”について説明しましたが、”うつ”は存在の危機とも言えます。これは意識側から見た場合で、無意識側から見たら存在の危機にはなりません。
自分はいい子でなければならないというのが、意識側からは存在意義だったしても、無意識側から見ると抑圧になってしまいます。無意識への抑圧で神経症症状が出てくるのですが、抑圧をやめることは存在意義を失うことにもなり、”うつ”になるということでもあります。見方を変えると、神経症は”うつ”になるのを恐れてあがいている姿にも見えます、”うつ”に使う抗うつ剤は、不安など神経症にも使うことからも両者は近い病態像なのです。
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